48 件の資料が見つかりました。
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宮崎市広報 160号 1957年4月号 宮崎市広報
160号
1957年4月号剤撒布(衛生課)有馬市長より提案荒川氏を名誉市民へに檍村、ついで同十八年赤江町の合併を推進し近くは昭和二十六年に倉岡、瓜生野、木花、青島の四村合併を実現すると共に、また、宮崎港実現の端緒をつくるなど今日東九州の雄都として...
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宮崎市広報 161号 1957年5月号 宮崎市広報
161号
1957年5月号で御協讃を得ました前宮崎市長荒川岩吉氏の名誉市民の称号を贈り、最高の儀礼を以てこれを讃えんとすることは又当然なりと言わなければならないのであります。茲に宮崎市民を代表して改めて同氏の御健康を御祈り申上げます。その他本日表...
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みやざき市広報 223号 1962年6月号 みやざき市広報
223号
1962年6月号ぴました。市長提出議案は岩切章太郎さんを名誉市民であることにふさわしいものといえましょう。経歴をふりかえってみますと、岩切さんは明治二六年五月八日、当時の大淀村に生まれました。学校は宮崎中、一高、東大と進み、実業界にはい...
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みやざき市広報 228号 1962年11月号 みやざき市広報
228号
1962年11月号ボール人口をつくり上げた功績によるもの。名誉市民章が岩切さんの胸にかけられました。よるこびの岩切伝三郎さん...
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みやざき市広報 231号 1963年2月号 みやざき市広報
231号
1963年2月号由でしたが、推戴されました。労者として、名誉市民章をかける有馬市長8つのスピーカーを持つ愛の鐘事務をとる職員も忙がしそう1務促経こ低1が進済の開進法開窓発九月めに発口地十ら従課集域中五れいがの事日て、新指設務にお着定さの...
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みやざき市広報 232号 1963年3月号 みやざき市広報
232号
1963年3月号由でしたが、推戴されました。労者として、名誉市民章をかける有馬市長8つのスピーカーを持つ愛の鐘事務をとる職員も忙がしそう1務促経こ低1が進済の開進法開窓発九月めに発口地十ら従課集域中五れいがの事日て、新指設務にお着定さの...
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みやざき市広報 258号 1965年5月号 みやざき市広報
258号
1965年5月号31宮崎大橋完成32・5・3荒川岩吉氏に名誉市民章38・4・1生目村を編入(三四・二六平方キロメートル・一八九二戸・八、四〇四人)38・5・8日南線全通38・8・1小戸之橋完成38・12・8市庁舎移転39・3・31し尿処...
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みやざき市広報 259号 1965年6月号 みやざき市広報
259号
1965年6月号市民会館入場者は延べ2万4千人に達した。名誉市民岩切章太郎氏のあいさつ。前日祭の民芸おどりで臼太鼓おどりなども披露。...
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みやざき市広報 267号 1966年2月号 みやざき市広報
267号
1966年2月号市でおこなわれ、有馬市長、児玉議長、岩切名誉市民などが市民を代表して出席します。これを記念して五ページにわたり橿原市紹介の特集を組んでみました。日本のふるさと橿原は日本歴史発源の地といわれ、神話、伝説に包まれた日本人の魂...
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みやざき市広報 268号 1966年3月号 みやざき市広報
268号
1966年3月号長、議員、宮崎市収入役、それに岩切章太郎名誉市民、奥田奈良県知事、中谷県議会議長、両ライオンズクラブなど列席した人たちは晴れがましいなかにも、エリを正して参列していました。日本一の姉妹市に○・:あいさつに立った有馬市長は...
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みやざき市広報 273号 1966年8月号 みやざき市広報
273号
1966年8月号議会は臨時市議会を七月七日にひらき故人に名誉市民の称号を追贈することを満場一致で決め、宮崎市はただちに同日市議場で遺族に推戴(すいたい)状をちくりました。一、宮崎市は七月十一日、宮崎市民会館で宮崎市葬を執行しました。さよ...
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みやざき市広報 365号 1974年4月号 みやざき市広報
365号
1974年4月号岸が国定公園に指定される。昭和31年市が名誉市民条例を制定昭和32年市内ではじめて「シネマスコープ」が映画センターで上映される・宮崎大橋が完工・宮崎港の起工式行われる。昭和33年・町を静かにする運動が市内全域で始まる。昭...